プロフィール

こんにちは

自分育て直しカウンセラーの 徳永 愛 と申します。

毒親に育てられ、アダルトチルドレンとして生きづらさを感じておられる方、

息苦しさを抱いて日々を送っていらっしゃる方に向けて

自分自身が毒親育ちだった経験を生かし

心が軽く、自分の人生を取り戻し、生きやすくなれるようなカウンセリングをしています。

何歳からでも自分の人生を生きることはできます。

自分を育て直すことで、ラクに楽しく生きててよかったと思える人生を生きませんか?

怒られてばかりの楽しくなかった子供時代

私の家族は、父、母、2歳違いの姉、私です。

父は気に入らないことがあると鬼のように顔を真っ赤にして青筋を立て

食事中でもテーブルをひっくり返すような人でした。

だから、いつ何時怒り出すかわからない父は怖くて

私は壁に張り付き、

なるべく自分の存在を気づかれないようにしていました。

そんな私に母は、私がいつでもニコニコしていないと、

「あんたはすぐに顔に出す。
笑う門には福来るなんだから、笑っていなさい。」

と笑顔を強要しました。

母は姉と比べて
「お姉さんは優しいのに、あんたは…。」
と言うのが常でした。

そして何か言えば「あんたはわがまま。」と言われるだけでした。

私は自転車にうまく乗れません。

姉には乗れるまで親が付き添っていたので、私もそうしてくれるものと思っていたら、

何時まで経ってもその機会が来ることもなく、中学生になりました。

どうせ言っても私の願いは却下されると思い、仕方なく早朝に起きて

誰もいないところで一人で自転車の練習をしました。

一応乗れるようにになれたものの、今でも混雑した通りでは怖くて乗れません。

母はいつも愚痴をこぼし、誰かの悪口を言っている人でした。

また何かわからないうちに、ヒステリーを起こして子供に当たり散らす人でした。

母は父とけんかをすると仲裁役を私にさせました。

父と母は子供の私に機嫌を取ってもらいたい人でした。

二人ともいつもほめてあげれば機嫌がよかったです。

そのくせ、子どもには言葉の暴力がひどくて、

私たち子供はストレス解消のサンドバックであり、ごみ箱でした。

また、私がどうしてもスケートに行きたいと言ったことがありました。

当然最初は父も母も嫌がりました。

でも母が渋々ついてきてくれることになりました。

私は初めてのスケートにうれしくて、手すりにつかまりながら練習を始めました。

するとちょっとした頃、母が手招きするので近寄ると

「もうお母さんは寒くてしょうがないんだから、帰るよ。」

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たった一度、私が必死に願ったことはあっという間に終わりになりました。   

   

でも、両親は親戚づきあいもほとんどしなかったので
他の家庭を知らずにいて、家庭とはこんなものだと思っていました。

理不尽だらけの、愛されていないと確信した絶望の思春期

ある日学校から帰ると、私の机の上に手紙が置いてありました。

それは友人からのだったのですが、開封されていました。

「ひどい!
私宛のものを、わたしのOKもないのに、私より先に読むなんて!」

その思いを両親に言いました。

すると父は「親は子供を監督する義務があるからいいんだ!」

と言いました。。。

あるとき、母から理不尽な土下座をさせられたことがありました。

最初私は、なぜ母が怒り出したのかわかりませんでした。

記憶をたどると「お母さんなんか嫌い」と言ったことだったかなー

というくらいのものでした。

でも私が土下座して謝るまで許さないというのです。

こんなに怒り狂えるものかと思うほど、

自室にかんぬき棒を立てて、ずっと出てきませんでした。

それは私にとって大きな屈辱でしたが、父は母に従うように言い、

姉は沈黙。

私はいつも自分の心を踏みにじられる。

親からも、だれからも愛されない子供なのだと、大きなトラウマとなり

後々まで引きずることになりました。

両親から、最も愛されたい人たちから愛されてない

と薄々感じていたことの、決定的な確信でした。

嫌でも行かざるを得なかった、父の望む学部の大学

大学もあくまで父の望む学部に入ることが至上命令でした。

その学部は私にとっては興味もなく、苦痛でしかないものでした。

子どもは自分たちの所有物であり、

アクセサリーとして整っていて欲しいだけ、でした。

そんな扱いにも逆らうこともできず、言いなりになるしかなかったのは

これまでも父に逆らうことを試みても、げんこつでねじ伏せられたこともあり、

それは、幼少期から親に逆らうことは見捨てられること=死であって、

その恐怖がしっかり潜在意識に入ってしまっていたからでした。

会社員になっても苦行ばかり

会社ではモラハラ上司に嫌味を言われまくり、

にもかかわらず、家に帰っても自分の悩みを聞いてもらえるどころか

親の愚痴を聞き、家事をしなくてはならないかと思うと

帰りの電車から降りる気になれず、何時間も電車の中にいました。


母の反対を予想するも、めげずに結婚

父も母も私のやりたいこと、意思は却下、無視でした。

母は結婚はしなさいと口では言うものの

母の世間体を整えるため結婚して欲しいだけにすぎず

どんな人を連れて来ても気に入らないのはわかっていました。

その頃から自分を幸せにするのは、自分しかないと思っていたので

結婚だけは自分の考えで決めようと思っていました。

父とは絶対違う人、やさしい人と結婚しようと思っていました。

やはり母は、結婚しようと連れてきた夫となる人に反対しました。

母はただ外側の見栄ばかりを気にする人で

人から褒められたい、うらやましがられたいという思いだけで、

私の幸せを願っているわけではない。

結婚を機にやっと親から離れられると思いました


親からの完全な別離を決める

今までどんなに気を遣っても、どんなに気に入られようと、

愚痴を聞き、機嫌を取り、ストレス解消のごみ箱となり、

興味を持てない分野の勉強の成績も頑張ってきました。

父母の望む指示にも従ってきました。

でも、もう限界でした…。

両親の過干渉、コントロール、束縛から逃れたかったです。

もう父、母に振り回され、我慢ばかり、言いたいことも言えず、

言いなりの人生は嫌だ!と思いました。

自分を育てなおそうと、もがき続けた第2の人生

結婚後、二人の子供たちが生まれ、

このアダルトチルドレンの連鎖を、私限りで食い止めようと思いました

愛したいのに愛せない

親への葛藤の苦しみを

子供たちには

味わわせたくないと

固く心に決めました。


その一方で

人の顔色をうかがい、機嫌をとる、自信のない

生き方しか身に着けていなくて、

それでは他の社会ではことごとくうまくいかないことに唖然としました。

誰にでもに笑顔で接すれば八方美人と言われるし、

趣味のサークルでも人間関係がうまく作れず、

誰にも心を開けず、近所の人の顔もまともに見れず、

言いたいことも言えなかったので、ひどい噂を流されてもそれは違う!

と言うことさえできない私でした。。。

だんだん外へ出るのが怖くなり、引きこもるようになりました。

かわいいはずの長男にも些細なことでイライラし、怒っては謝ってました。

これではいけないとはわかっても

アダルトチルドレンそのままの思考で出来上がっていたので

自分がどうあればいいのか、どう行動すればいいのかさっぱりわかりませんでした。


自分の在り方を模索し続ける

とにかく、どうにかしなければ!
自分を変えたい!
自分が本当にやりたいことは何?

という思いで、親元で自由に好きなことをやれなかった反動でいろんなことをやってみました。

次々といろんなことをやってみるものの長続きせず、

人間関係もうまく結べず落ち込みました。

自分を理想の自分にすれば、抱えている問題は解決するかもしれないと

前世療法・インナーチャイルドの癒し・スピリチュアル・ヒーリング・自己啓発・

引き寄せの法則・チャネリング・潜在意識・量子力学 ・・・・・など

そして心理学、カウンセリングも

学んできました。

これらの学びから、

自己否定、自己嫌悪、罪悪感、低い自己肯定感、人からどう思われるかばかりを気にする、

他人軸、見捨てられ不安、寂しさ、孤独、不信感など。

どれも幸せにはなれないものばかりを、持っていることにやっと気づきました≧≦

ただ

自分を受容して、愛して

自分をとがめたり、

傷つけたりを

やめればよかったこと‼

何かをつけ加えたり、違う誰かになることではなかったのです。

頭の中では…。

わかったつもり…でそうしようとしました。

でも、わかったつもりではそれらの思いは捨て去ることはできなかったのです。

これまでもカウンセリングを何人かのカウンセラーさんに受けてきました。

それなのに私は回復できた、よく寄り添ってもらえた
と思うカウンセラーさんに出会えませんでした。

だからカウンセラーさんに対してあまり期待していませんでした。
不信感さえ持っていました。

それでも何とかして回復したい、

アダルトチルドレンの苦しみから解放されたい!と。

ひとりではもう限界…。

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不眠症も発症し、10年以上眠れない日々が続きました。。

来る日も来る日も眠れずに朝を迎える…。

心療内科に受診して、投薬も受けました。

でも改善されることはなく、

もう心身がボロボロでした…。

やっと望むカウンセラーさんに会えて、突破口ができた!!

とうとう望むカウンセラーさんに出会えたのです。

あきらめなくてよかった、

頼ってよかったのです。

今まで言えなかった正直な思いをオープンに話しました。

カウンセラーさんも、その時私に感じた正直な気持ちを伝えてくれました。。。

私が言ってもらいたかった

言葉を。

私は泣きました。。。

今までも散々流して、もう出ることはないだろうと思っていた涙がとめどなく流れました。

温かい、すがすがしい涙でした。

何十年間も望んだ心の平和を手に入れる

それからも自分を癒し続けました。

自分を大切にしてきました。

今まで学んできたことが役立つ時が来ました。

心理療法、スピリチュアル、潜在意識、インナーチャイルドの癒やし、など

学んで役に立つと思えたことを使って、自分を育て直してきました。

長い年月をかけて、何十年間も願い続けてきた平穏な心になれています。

自分を育て直して、平安な心を取り戻す方法を知ったからです。


私はたくさんのいらない思い込みがありすぎて、遠回りをしてしまいましたが

私と同じようにアダルトチルドレンで

その上とても繊細なHSPの方の力になりたいと思っています。

何十年も苦しんできた私だからこそ伝えられます。

アダルトチルドレンは乗り越えられる。

何歳からでも‼

せっかく生まれた命を誰かのために犠牲にするのでなく

自分を育て直して、生きててよかったと思える人生を歩んでいきませんか?

人の寿命は限りがあります。

時間は命とも言えます。

もし、このまま時間が過ぎて行ってしまったら、

過去の私のように体までも病んでしまうかもしれません。

今こうしてこのサイトをご覧になっているということは

あなたは変わりたいと思っているはずです。

今がチャンスです。

あなたの心の願いを叶えてあげませんか?

そうして、

あなたも、あなたの周りの人も巻き込んで、生き生きと自分の人生を楽しんで生きませんか?

例え人生の半分が苦しかったとしても、ほんの少しの勇気を出して

自分を育てなおそう、

自分の人生は自分で作ろう

と決心さえすればいいのです。

生き生きと楽しく暮らす人たちに囲まれて暮らしませんか?

そんな社会を創るのが私の夢です。

あなたならきっとできます。

今どうあろうと、まったく関係ありません。

一緒にやっていきませんか?

おかげさまで子供への連鎖は食い止められて、

親子共々平和に暮らしています。

              

カウンセリングはお客様とカウンセラーとの相性がとても大切です。

一度、お試しカウンセリングを受けてみませんか?

お試しと言っても、全力でカウンセリングさせていただきますのでご安心ください。